中道思想

仏教の中道思想をおもしろく解説した、とある同業者さんのブログです。
なかなかおもしろいのでご紹介します。

あの世の仕組みを作り上げている大きなルールが2つあります。一つは輪廻転生と因果応報というシステムです。
このシステムは実に単純明快、まるで方程式のようです。
簡単に説明すると、良い事をやると良い結果になり、悪い事をやると悪い結果となるという仕組みです。水戸黄門や暴れん坊将軍のような時代劇では、必ずこの仕組みを取り入れています。勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の考え方と良く似ています。
 この時代、良い人ほど馬鹿を見るとよく言われます。確かに性格の良い人の方が苦労が多いのは事実かもしれません。この「良い」という事。実は大変定義が難しい言葉でもあります。
古代ギリシャの哲学者・エピクロスは「快楽が善・苦痛が悪」だと定義していますし、ドイツの哲学者・ニーチェは「強者こそ善・弱者が悪」と定義しています。またキリスト教では「愛こそ善・欲こそ悪」と解いています。
立場と考え方がかわれば善悪の基準が変化してしまいます。 またその基準を決めようとすれば、善悪の境があいまいになっていきます。
 しかしながら仏教はちゃんと善悪の解決方法を持っています。それが「中道」という考え方です。ギターの弦は緩いと音が鳴りません。また締めすぎると切れてしまいます。良い音色を出したいのならば「丁度良い」締め具合が必要です。この丁度良い事が中道です。良い事ばかりやっている人は偏った考え方となり、案外悪い人とよく似てきます。当然悪い事ばかりをやっている人は問題外です。バランスのよい生き方が出来る人が「良い人」です。長い人生、場面場面で善悪の判断をするのではなく、トータルで考えて良い人生か悪い人生かを決めるべきです。悪い事をしたなって気づいたら、それを取り返すほどの良い行いをして取り返せばいいんです。そのために人は長い寿命を手にしているんですから。
 人生の終焉の時に「良い人生だった」と堂々と口に出来る人の来世はさらに輝かしくなる。それが因果応報を組み込んだあの世の仕組みです。
〆の言葉
善と悪との狭間を堂々と歩く、それこそ王道である

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